いずれは手の抜き方を覚える

1.ある法務部長の言葉 

ある上場企業の法務部長が「若手は完璧主義で、手の抜き方を知らない。手の抜き方を覚えろと教えても覚えない。」という話をされていました。 

もちろん「手の抜き方」というのは言葉の綾で、その意味は「仕事を圧縮しろ」というものです。 

2.常に十分な時間があるとは限らない 

法務部員の一番の仕事はリスク回避です。契約書を添削する際には、起こり得るリスクを見逃さず手当てします。その作業に1時間かかるならば、1時間かけて100点を目指すことが、法務部員の仕事の原則論です。 

原則には例外があります。ビジネスはナマモノであるため、仕事が集中するタイミングがあります。その際には、15分で契約書の添削を終えることが求められます。原則1時間かかる仕事をどうやって15分に圧縮するか、そのスキルが求められます。 

3.圧縮のイメージ 

コンピューターの世界では、画像データや音声データの圧縮が日常的に行われています。元のデータの情報量を失わない可逆圧縮という手法もあるのですが、それではわずかなデータ量の削減しかできません。 

重要ではない情報を切り捨てて圧縮すれば、本質を失わずに大きくデータ量を削減できます。音声データでは、MP3(MPEG-1 Audio Layer-3)という圧縮方式が普及していますが、そのデータ量は、CDと比較すると10分の1です。MP3では、人間の耳では聞き取りづらい音域の情報を切り捨てています。そのため、耳の良い方が高級な音響機器を用いて聞き比べれば、CDとMP3の違いがわかるらしいのですが、通勤電車の中では両者の違いがわかる人間はほぼいないでしょう。 

仕事を圧縮するイメージがつかめたでしょうか。 

4.契約書添削における圧縮とその前提 

全30条からなる契約書を添削することを考えます。勤務先のビジネスを理解してくると、目の前の契約書がどのようなビジネスについての契約なのか、そのビジネス類型ではどのようなリスクが生じうるのか、契約書のどこを見ればそのリスクを防げるのか、がわかるようになってきます。 

そうなると、全30条の契約のうち、重要な5つの条項を確認し、問題がないならば、安心して残りの25条を流し読めば、作業量は大きく圧縮されます。逆に、重要な5つの条項の内容に不安を覚えれば、残りの25条にも注意が必要だと判断されます。契約書ごとに力の入れ方にメリハリをつけるということです。 

もちろん、安心できた場合でも、流し読んだ25条の中に潜むリスクを見逃す可能性は高まります。しかし、そのリスクは、ビジネスの類型から考えれば深刻ではないと評価されるものであるはずです。 

受験勉強に例えると、第1問から順に解いて100点を目指すのではなく、配点が大きな問題から順に解いていき、配点が小さな問題に時間を割かない、ということになります。 

5.常に仕事を圧縮すれば良いわけではない 

手の抜き方を覚えろ、といって指導すると、1時間あるのに15分だけ仕事をして45分遊んでしまう人が出るかも知れません。しかし、これは不正解です。1時間あるならば1時間かける、15分しかないならば作戦を切り替える、受験勉強と同じです。求められるのは試験時間の中で貪欲に1点でも多く取ろうという態度です。法務部員にとっては、勤務時間の中で少しでも勤務先のリスクを減らそうという態度です。 

とはいえ、仕事の圧縮ができない法務部員は、仕事が立て込んできたときにも第1条から順に添削をしてしまい、時間が足らずに大きなリスクを見逃してしまいます。それを避けろというのが、手の抜き方を覚えろ、という言葉の真意です。

6.応用編

勤務先のビジネス環境によるので一般化はできませんが、仕事の圧縮の仕方を覚えれば、1時間が与えられている場合にも、敢えて15分で85点を確保し、他に仕事はありませんかと仕事を拾いに行くことも可能になります。そうすれば、4倍の経験が積めて出世が狙えます。うまく手を抜く人間ほど出世するとよく言われますが、そんな人間を観察していると、100点を狙わない仕事ぶりではあるものの、勤務先のいろいろな場所に出没するはずです。仕事を圧縮できれば、30分で2倍仕事をして、残り30分をコミュニケーションに割くといった選択肢が生まれます。 

常に100点の仕事をする人間と、85点以上の仕事を4倍の速度でこなす人間は、後者の方が勤務先に利益をもたらしやすいことも意識してください。さらに言えば、常に100点という評価は、たった一度のミスで失われてしまいます。なぜ仕事を圧縮できることが出世の要件になるのか理解いただけたかと思います。 

7.とはいえ原則論を忘れない 

仕事の圧縮は例外です。原則は規定時間を使い切って100点を目指すことです。100点を目指す中でしか身に付かない注意深さは法務部員の基礎にして必須スキルです。仕事の圧縮は、さらに上を目指すための応用スキルであり、いずれは身につけるべきものに過ぎません。 

実務演習では、ビジネス類型別に注意点をお伝えしますが、これは仕事の圧縮に役立つはずです。