事実と評価を峻別する

1.法学教育の限界と現実の法律相談

論理的思考の一内容に、事実と評価の峻別と呼ばれるものがあります。これは法学部1年生で必ず習うはずなのですが、身につけている人間は極少数です。残念なことに、弁護士であっても事実と評価の峻別ができていない者が珍しくありません。これは個人の能力の問題ではなく、法学教育の限界です。

法学部の定期試験においても司法試験においても、問題文には綺麗に整理された事実が並んでおり、受験生には事実を抽出して評価する作業だけが求められています。法学教育では、事実と評価が峻別された状態からしか学ばないので、その前の作業が身に付かないのです。

ところが、現実は試験の問題文のように整理されていないばかりか、法律相談の相談者は自身の評価のみを伝えてきて事実を教えてくれません。法務の現場でも、従業員Aは勤務態度が酷いから懲戒処分したい、というような相談をよく受けます。勤務態度が酷いというのは評価です。どのような事実があるから勤務態度が酷いと評価しているのか、実務に出て初めて事実と評価の峻別の訓練が始まります。

2.事実と評価の違いはよくわからない

どこまでが事実か、どこからが評価か、を綺麗に切り分けようとすると混乱が起こります。事実と評価の概念は誰も明確な答えが出せない難解なものです。「A君は50メートルを6秒5で走る」というのは事実です。「A君は足が速い」というのは評価です。「B君が『A君は足が速い』と言った」というのは事実です。「B君が『A君が宙に浮いて走っているところを見た』と言った」というのは事実です。「B君は大げさだ」というのは評価です。しかし、「100メートル走の五輪金メダリストは足が速い」というのは事実か評価か、私にはわかりません。評価が固定されており、もはや事実として扱って良いようにも思えるからです。

3.法的評価

特にわかりにくいのが法的評価という概念です。「A君は15歳だ」が事実であり、「A君は未成年だ」が法的評価だと、おそらく教科書には書いてあると思います。

しかし、他の事実にかかわらず法律にあてはめた結論が固定されているならば、もはや「A君は未成年だ」を事実として扱って良いように私には思えます。

とはいえ、法律の試験で問われるのは法的三段論法を使いこなせているかどうかなので、「A君は未成年だ」を事実として扱うと減点されます。

私は、同じ試験の他の箇所で法的三段論法を実演する機会があることを前提に「A君は15歳の未成年である(民法第4条)」などと事実と法的評価が混然一体となった記述をしてきました。そうしなければ試験時間が不足するからです。

結局、いくら考えても結論は出ないので、実務で感覚を養うしかありません。

4.実務において想定されるケース

①相談者の生の声(事実と評価の峻別を意識していない)

Aは毎日のように遅刻を繰り返している。たまに定時に出勤してくると皆が驚くくらい遅刻が多い。遅刻と言っても、5分程度の可愛い遅刻ではない。30分以上の遅刻が当たり前だし、酷いときにはお昼近くになってから出勤してくる。もう午前中は仕事にならないくらい酷い。しかも、一時期体調を崩して、ということではなく、何カ月もその状態が続いている。その間に何度も注意したのだが治らない。人事部長まで面談したし、このままでは懲戒処分をするとも伝えたが治らない。理由を聞いても、すみません、というばかりで答えない。ただ寝坊していたり、面倒くさかったりするだけのようだ。指導書も出して、何かの病気かも知れないから病院に行けとも言ったのだが、病院にも行かない。完全に会社を舐めている。

②法務部員が作成した懲戒処分通知書の記載の一部(事実と評価の峻別を意識している)

2024年12月における当社の営業日数は12月26日現在まで19日間であるが、Aはそのうちの3日を欠勤し、残る16日の全てにおいて遅刻をしている。しかも、当社の勤務開始時刻は9時0分であるにもかかわらず、Aの出勤時刻は、12月2日10時5分、3日9時32分、5日11時29分、9日9時49分、11日9時45分、16日11時23分、19日9時55分、23日10時0分、25日10時18分となっており、30分以上の遅刻が9日である。Aは、11月においても、営業日数20日中、欠勤1日、遅刻15日うち8日が30分以上の遅刻であり、10月においても、営業日数22日中、欠勤1日、遅刻19日のうち7日が30分以上の遅刻であった。当社は、毎週月曜日の朝礼において遅刻をしないように全従業員に対して注意喚起するとともに、10月7日には、Aの上司であるBからAを面談室に呼び出しての口頭注意を行い、10月21日にも、再度BからAを面談室に呼び出しての口頭注意を行った。それでもAの遅刻が改まらなかったので、11月5日13時から、人事部長CとBが、面談室において、Aに対して懲戒処分の可能性を告知した上で事情の聴取を行ったが、Aからの弁明はなかった。さらに当社は、12月6日、Aに対して改善に向けた指導書を手交し、その中において医師による診断を受ける旨の助言を行った。にもかかわらず、12月26日に至るまで、Aの遅刻は改善されることなく、医師による診断を受けたという報告もない。

では、Aの悪質性を伝えるために、多い、酷い、といった評価を多用しています。相談者が怒っていることだけは伝わりましたが、Aの悪質性がどの程度かはわかりません。電車の遅延が発生しやすい通勤経路であるために2,3分程度の遅刻が多く、30分以上の遅刻もあり、その際には遅延証明を提出しているかも知れません。1度だけお昼近くまで寝坊してしまったことがあり、上司にはそれが許せないだけかも知れません。それはあなたの感想ですよね、という簡単な反論にやられてしまいます。

では、淡々と何月何日に何があった、という事実を書き連ねています。多い、酷い、という単語は用いていません。自分が法務部員になった後、Aの悪性を訴えるために、①と②のどちらの文章を書くべきか、考えてみてください。

5.事実を畳みかけて読み手の評価を誘導する

私の理解では読み手が感じるものが評価です。法務部員は、読み手の特定の評価を引き出すために事実を書き連ねます。実際の文章では、事実を書き連ねた後に評価を示すことになり、「よって、Aは遅刻が多くその程度も酷いと言わざるを得ず、就業規則●条『~~』に該当するので処分する」などと結びます。それでも、評価を示す前に読み手が同様の評価に辿り着くように事実を集めて構成することが、法務部員に求められる説得力です。

6.実務で役立つ説得の技術

事実と評価の峻別を説明することは困難ですが、実務においては、敢えて評価を避けて事実のみを書き連ねることによって、読み手を特定の評価に誘導していく説得の技術として位置づければ足ります。法務の仕事は経営層や事業部門、時には交渉相手を説得することですから、事実と評価の峻別を身につけられれば、強力な武器になります。